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2006-03-16

「三つのトビラ」

さ~って!久々Yたです!

こんばんは!

いや~、今日最終回だった、「神様はサイコロを振らない」

結局はまりにはまりまして、最終回まで一話も逃さずにみてしまいました。

あんまり僕は、連ドラとかはみないんですがね~。

ソレは、まあ会社から帰ってくるのがいつも9時10時なので、時間的になかなかね~。

しかし、見てしまいました・・・。


なんかね~、すごい良かったんですよ。



まあ、そんな僕なんかのドラマの感想は置いといて。

その、ドラマを見ていて思い出したこと書こうかなっと思いましてね。


この、ドラマでは、
神様は運命というサイコロを振らない
けれど、しかしあなたは自分のサイコロを振りなさい

というところから、主人公やその周りの、人たちのこれからへの「一歩」を進んでいくところで、ドラマは終わるんですが。

ソレはドラマの終わりであって、この主人公達にとっては、新たなスタートで、ドラマは終わります。

そして、このドラマの終わりが、今日僕の会社で一緒に働いてる、二人が辞めて行ったので、僕の中でリンクしてしまったのです。

そう、僕にとっては「さよなら」でも、彼らにとっては「スタート」だからです。



そして、そこで思い出したこと。

確か、兄が高校卒業のとき、だったかな~。たぶん中学のときではないので、高校のときだと思うんですが。

兄がね、なにか卒業文集かなんかで、作文みたいのを書いたんですよ、

その作文の題名は「三つのドア」

という題名だったのは覚えてます。


そこで、僕はその頃、なぜか作文に自信がありまして、兄はソレを知っていたので、なぜか、その兄の作文を僕が手直しすることになりましてね~。あんときは頼まれて、やったから、特になんも考えずに手伝ったんですが、今思うとなんで年下の僕が、兄の、しかも、卒業文集を、手直しセナアカンかったんだろ?という疑問はありますが・・・。

そこで、完成したのが

「三つのトビラ」です。

そう、三つのトビラ、ソレは、単純で、しかしとても悩む三つのトビラなのです。

僕のときもそうでしたが、高校卒業時、誰しも、三つの扉から、どれか一つを選ばなければいけないからです。

一つは、大学進学、というトビラ

二つ目は、専門学校へ行く、というトビラ

三つ目は、就職、というトビラ

そう「三つのトビラ」というのは、これから、高校を卒業するに当たって、自分の行く末を、自分で決め。

自ら、トビラの鍵を開け、歩んでいかなければいけない。

という、作文でした。


ソレが、我が兄ながらいい作文でね、

だから、手伝おう、っと、その頃の小さな僕は思ったのかもしれませんね。


たとえば、まあ今高校進学で悩んでる人には失礼な話しですが。

今現代、高校へ行くのは当たり前になってますよね、モウ高校までが、義務教育の分野になってるじゃないですか。行く高校は悩んでも、あんまり高校に行くかどうかは悩まないでしょ?


その中でね、高校を卒業するときは、すんごく、悩むんですよ。

そりゃあ、高校に入学したときから、大学へ行くつもりの進学校人は悩んだりはしないのかも、知れませんが。


実際、高校までは、勉強をする以外にも、カリキュラムに、集団生活の大事さや、学校生活の大切さを、学べるでしょ。

でもね、大学なんかは、本当に勉強するために、行かないと、四年間を無駄に使ってしまうような気がするんですよ、その若かりし四年間は人生の上で、結構自分を成長させるのに重要な四年間だと思うしね。

例えば、自分にやりたいことがあるけど、そのやりたいことが、大学の学科なんかになかったら、悩まずに、大学卒業の学歴なんか、くそくらえ!で、専門学校に行った方が全然人生において、素晴らしいものになると思います。

でもね、その自分のやりたいことが、専門学校にあっても、もし失敗したら?自分に才能がなかったら?自分の思ってるものではなかったら?

大学卒業という学歴を持っておいた方が、自分の未来はいいんじゃね?

という風に、若者は悩む悩む!そして恋愛なんかもその時期ヒートアップして、悩む悩む!

そして最近、その年頃を越えてしまった僕は、逆に、思います。

若者め!悩め悩め!

もちろん、専門学校や大学ではなくても、就職に関しても、悩む悩む!

まあ、若者でなくても、人間は、なぜか、自分の事に関しては分かってるようで、一番分からなくて、悩むように出来てるんですけどね。

自分ことが、一番冷静に判断できない。っと思いますしね。


さて、話し戻しまして、その作文「三つのトビラ」なんですが、

そのような、ないようでした。

しかし、この年になって、改めて思うのは、この兄の作文の頃、卒業の頃、ではなくても、人は常に自分の中でトビラを持っていて、その鍵を開いて、自ら歩いていかなければいけないのかな?と思うことです。

そう、自ら、トビラを開かなければ、何も代わらない、ということですね。

高校卒業時は、高校という三年間の期限があります。

待っていても、卒業の日は来てしまうからね。

しかし、社会人はその卒業というスタートラインは、自分で引かなければいけないという違いがある。

そう、誰にでも目の前にトビラを持っているのです。

俺にはない!なんて方は、モウそのトビラを自分の知らず知らずのうちに開けてきたのです。


そう、「きっかけ」という鍵を使ってね。



(そこが、僕をこのドラマを見ることで、「三つのトビラ」を思い出させたのかもしれません)






そこで懐かしい言葉、

その「三つのトビラ」を僕が手直ししたときに、その頃からクサイセリフがスキだった僕は、その作文のラストにこの言葉を付けたしたのを鮮明に覚えてます。



P,S どのトビラを選んだとしても、ソレは自分の意思であり、



そのトビラの鍵は常に自分の手の中にある。



20060316013028.jpg





なんてね
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コメント

私、「小早川伸木の恋」にはまっております。
ドキドキ感、いいよね~。


私は短大2年間、とーーーっても充実してたよ。口ではいえないほど
大変だったけど。マジで気が狂いそうになったよ。
リリアもあったし(今の皆さんの足元にも及ばないけど)、実習の連続、
そして毎週山ほどのレポート。でも、やりたいことだったから頑張れたんだと
思うよ。

何かやりたいことが見つからない、ってのは、かっこいい逃げ道だけど、
自分で切り開いて、見つけていくのが、高校卒業までの大きな課題じゃないかな。だって、専門的なこと、学びたいなら高校卒業からでしょ~。

大学入っても、なにやりたいか見つからないで4年間、もったいないよね~。
色々吸収したり、試せる最終チャンスだよ、きっと。それに親のすねをかじれる
時期もそこで終わりだろうしね。

みんなはどう考える??

脛かじり

親にかじらせる脛があるならそれもいいかな、、ニートは困るけど、、。
私にはかじらせる脛はないけど、学生時代は半分位は脛をかじらせて頂きました
遊んで遊んで、、。

年をとると遊んでいない人と、遊んでこなかった人とは人間の幅が違うように思います。(遊んでばかりは困りますが、)
学生時代劣等生だったやつらの方が、実社会では頑張っていることも多いです。
でもやはり、地道に勉強してた人がいわゆる勝ち組になっているもの事実。

回り道をして良かった人と、回り道をしてそのままの人と、難しいですね。

あややっ!コメントありがとうございます。

トビラを開かせる、言葉。

てのも必要かな?っとコメントを見て思いました

お二人はその言葉を持ってらっしゃるから。

鍵は手に入れたものの、そのドアは思ったよりも重くて、開けるにはもう少し時間がかかりそう・・・

トビラをあけるのは

力じゃなく

コツが必要です。

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